『燃えよドラゴン』(ブルース・リー主演)はギャグ映画!?

アクション映画はあまり好きではないのですが、映画好きを公言しているので、ブルース・リーの作品を1作くらいは見ておこうと思い、傑作と名高い「燃えよドラゴン」を観てみました。

あらすじは割愛します。僕がすごいと感じたところのみお話したいと思います。

 

先ずは、映画の冒頭、弟子に稽古をつけるシーン。これは有名なシーンだと思います。

「Don't think feel!」ってセリフが出てきます。弟子に稽古をつけ、どう感じたかと問うリーに、うーんと弟子が考える。それに対し「考えるな、感じろ!」と叱るシーンです。これが元ネタなのか、もっと昔の映画にでてきていて、それに対するオマージュなのかは分かりませんが、有名なセリフですね。

 

さて、次はラスト。最後のラスボス(ハン)を倒すシーンです。リーに追い詰められたハンは、逃げるように全面鏡張りの部屋へとリーを誘います。その部屋では鏡に映ったハンか、実在のハンかが分からず、リーは苦戦を強いられます。

ここで僕は、なるほど、目を閉じ、五感を研ぎ澄ませ、相手の動きを察知してハンを倒すのかなと思って観ていましたが、、

なんと、リーは、鏡をたたき割り、ハンが鏡に映らないようにして、倒してしまったのです。。。

 

「なにが 『Don't think feel!』 やねん!めっちゃ考えて戦っとるやないかい!!」

もー、大爆笑しました。

 

こーゆーのを劇的アイロニーっていうのですが、前振りからボケまでがこんなに長い映画は初めてで衝撃的でした。(調べると、弟子に稽古をつけるシーンが開始約7分、ラストの鏡を割るシーンが約139分でした。)

個人的には「ブンミおじさんの森」に匹敵するくらい衝撃的なアイロニーでした。

伝統や文化を守る意義について

「伝統を守るべきだ、文化を守るべきだ」とよく言われますが、その理由について述べてみたいと思います。

人間は神の様に全知全能ではありません。従って、善悪の判断基準、つまり、真に何が善いことで何が悪いことかが分からない存在です。それ故、アノミー状態 (何をどのように行動してよいか分からない状態)に陥ってしまいます。そこで、何を拠り所として行動すればよいかについて、M・ウェーバーが「権力と支 配」という書物のなかで3つ示唆していると思います。(支配の3類型)

 

1つめは、「カリスマ的支配」です。各個人がどのように行動してよい か分からない場合、カリスマ性を持った人間が現れ、このように行動するのが正しい、といえば、人はその言葉を信じ、自らの行動に正当性を持たすことができ ます。教祖様のおっしゃることだから正しいに決まっている、みたいなケースです。

次に、「合法的支配」です。これは、予め多くの人が合意できるような手続きを決めておき、それに準拠して決定された法律や制度に違反しないように行動すれば、同様に正当性を持たすことができます。

最後は「伝統的支配」です。これが伝統や文化を守る意義にあたるのですが、先人達が残してくれた伝統や文化には、時代を越えて守られてきた理由があり、そこ には相応の ”正しさ” があるのではないかと思えます。そこで、そのような伝統や文化を参照すれば、誤った行動はしないだろうと思え、正当化が可能となります。

 

自分の行動に正当性をもたす(理由づける)ためには正統性(カリスマ、合法性、伝統)に依拠せざるを得ない、ということだと思います。

 

つまり、伝統や文化を守るべき理由は、僕たち人間は神の様に全知全能ではないため、自らの行動を正当化するための指針が必要であり、その指針の一つを伝統や文化に求めることができる、ということです。